こんにちは、minaraiです。
本日は、私が日頃から感じている“ひとの心が満たされること”、について書いてみたいと思います。
お金やモノで満たされるは幻
お金があれば大体がうまくいく!お金の力は絶大だ!という思考の人は、世界中のどこにでもいると思いますが、はっきり言って私もそう思います。
だってたくさんお金があれば、好きなものを好きな時に食べれるし、好きな車に乗れるし、異性にもモテるかもしれない、好きなところに旅行に行って悠々自適な生活・・・
夢ですよね!お金があれば確実に満たされる!
だけどそれはほんの一瞬で、時間が経つとまた満たされなくなるのかなって思います。美味しい料理も食べた味はいつの間にか忘れるし、買った車も古くなって飽きてくる、仲の良かった恋人とも喧嘩ばかり…ですよね?
で、また満たされたくてお金の力で新たなモノを得ようとする。だけどやっぱり満たされない。
なんか違うなと思い、いろんな趣味を始めて友達ができて、最初は凄く楽しかったりするけど、時間が経つとやっぱりこれじゃないとか、つまらくなったとか。
そんな経験ないですか?
ネガティブを書いてるつもりは全然ないのですが、このループが永遠に続いてるのが今の世界(特に先進国)のヒトの現状だと感じています。
つまるところ、心が満たされていない状態ですよね。
物質にだけ満たされて、幸せだけど何か違うみたいな。
たとえ億万長者であっても、お金の力だけでは幸せには絶対なれない。これだけは確信しています。
マザーテレサは過去の来日の際に、「日本は豊かな国だけど心が貧しい国」とはっきり言っています。
心が貧しいというより、心の豊かさに着目している人が少ないと言った方が正しいのかもしれませんね。
何が心を満たす?
率直に私は愛だと思います。それは誰かから愛されることではなくて、だれかに愛を与えること。
身近な家族、親戚、友人、同僚、知人、知らない人、そして自分が嫌いな人にも。
この人達に真っ白な気持ちで向き合って、本気でサポートしたり、その人のことを大切に考える。無償で与え、愛する気持ちを持つ。これが心を満たしていく方法だと思います。
なぜか?
それがこの世界(ヒトがこの世で生きる時間)での本質だと考えるからです。(人生は魂を磨く旅。地位や名誉はおろか、自分の身体でさえも最終的には残らない。)
まずは目の前にいる人、身近な人に与え続ける。他者貢献し、自分自身が貢献感を得る。これが心を満たしていくのかなと私は思っています。
ヒトに優しくしたり、親切にした時に“なんかいい気分”になる時ってあるじゃないですか?
間違いなくそういった積み重ねだけが心を豊かにしていくのかなと感じています。
世界平和に必要なもの
世界平和なんてどうだっていい、自分が生活するだけで限界。募金?お金があるやつだけがすれば良い。私たちは関係ない。
これは全く否定できません。
私もそうですが、生活に苦しい人が他人に与える、ましてお金の援助なんてはっきりいって無理!・・・ですよね。
だけど、私は10代の時からずっと世界平和を願っています。偽善と言われても、それは事実でして、毎朝継続しているのが「お祈り」。
お金も時間も手間も必要ありません。
10秒あれば終わります。目を閉じて、一日の世界中の人の平和を祈るだけです。
何やねんそれ!って言われるかもですが、お祈りを世界中の人が行えば、少なくとも争いは減ると信じています。
言葉の力と同じく、祈りの力も現実に大きく影響を与えると思うので、“みんなが世界平和を祈る(願う)こと”って大事なことだよな、と感じてます。
おわりに
今回は、人の心を満たすものってなんだろう?というテーマで書かせていただきました。
繰り返しになりますが、お金やモノでは心は充実できないし、無償で与える愛や他者貢献は凄く大事だと思います。
ということで、今回はこの辺で!最後まで読んでいただきありがとうございました。
またね〜〜