これまでSNSを利用していて、見ず知らずの人に心ないことを言われた経験ってありませんか?あるいは体力や精神を消耗してしまった経験。
こんにちは、minaraiです。
最近、SNSに関連した悲しいニュースをたくさん聞くし、やっぱり向き合い方を整理したり、投資する時間も見直さないとな…と感じることが多くなったので、今日はそんな話を書いてみようと思います。
SNSってごちゃまぜ
ごちゃまぜ。本当にそう思います。情報はもちろんのこと、何より人と利用目的がごちゃまぜ。
前向きな発信をしたい人もいれば、情報が欲しいだけの人もいる、フォロワーさんを増やしたい人もいる、あるいは最初から当たり屋的に心ない言葉を不特定多数にぶつける人もいる。
ミュートやブロック機能があったりするけど、それでも根底にある“ごちゃまぜ”は覆せなくて、消耗必須!みたいに感じることは凄くあります。
批判される側は、無限に湧き出てくる批判や誹謗中傷に消耗するし、そのやりとりをみてるだけでもウンザリするし、仲良く絡んでた人がいきなり去って行ったり、はたまたいきなり攻撃的になったり、共感しただけなのに「うざい」といきなり言われたり、もういろいろ。
次々に流れてくるタイムラインにはキラキラしたものも多くて、「あー羨ましいな」とか、「自分はダメだな」とか無意識的にも誰かと比較してしまったり、とにかく消耗戦。
それでもSNSを続けるのは、個人の発信や、仲がいい人とのやりとりが楽しかったり、普段の日常ではまず接せないような方々と触れ合えたり、多角的な視点の情報を得れたり、消耗する中でも活用の仕方一つで魅力的なメリットがたくさんあるからなんですよね。
個人の時代からコミュニティの時代へ
そんなSNSでは、今後、誹謗中傷を繰り返す人物の個人情報の取得費用がかなり安くなっていく流れのようです。
裁判がより進めやすくなったり、悪事を働く個人がどんどん特定されていけば、誹謗中傷は無くなっていくかもしれない。
でも、やっぱり“ごちゃまぜ”の改善には至らないので、本質的な解決にはならないと思う。
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こんな背景もあって、現在は個人の時代(国民総発信時代)は終わっていて、コミュニティの時代なんて言われてますよね。
ごちゃまぜではく、価値観の合う人だけが集うコミュニティ。そこは意味不明な誹謗中傷もなく、質の高いリアルタイムの情報を得たい人たちが集まる場。
代表的なのがオンラインサロンで、今後はオンラインサロンのような価値観の合う人達が集うコミュニティがまだまだ発展していくと感じます。
属性がごちゃごちゃしている空間はやっぱりどこか気持ちが悪いし、みんなそうした場所に発信の拠点を移していくんじゃないでしょうか。
10年前は何してた?
SNSが日本にまだ普及していなかった10年前をふと回想すると、連絡のやりとりは主に電話かメールでしたが、そこまで不便はなかったように思うんです。
今って、SNSの普及でそれに合わせた生活スタイルになっているように錯覚してるだけで、実際は無くても、多分全く問題ないですよね。
あるから利用してますが、無きゃ無いで生活できるはず。
だから、疲れた時はアカウントを消さずとも、数日間離れてみるのも大事だなって思います。
むしろその方が余計な情報をシャットできるし、健康的に過ごせるかもしれない。
情報は必要な時にだけ取りにいけば良いし、発信も心から誰かに伝えたい!と思った時だけ発信する。このぐらいの緩さでいいんじゃないでしょうか。
SNSは“ほどほど”にしなきゃいけないよね
SNSは楽しかったり、得るものがある反面、時間だったりエネルギーをかなり失います。
なので例えば、
・一日3ツイートだけ
・一日の中でSNSをみる時間を決める(見境なく見ない)
と決めちゃうのは、凄い有意義なことだと思います。
・ブロガーなのにSNSばっかりやって全然記事を書かない
・YouTuberなのにSNSばっかりやって全然動画を投稿しない
では本末転倒ですもんね(*´꒳`*)
目的を持ちながら、疲れたら時には休んで、ほどほどに楽しみましょう!
では、今日はこの辺で〜